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「手柄を取らない」 長老の席の譲り方

掃除婦モンキーテンプル
Nepal , 2000

テーラワーダ仏教(上座仏教)のスマナサーラ長老がおっしゃっていたのに

電車に乗っていると、若者がお年寄りに席を譲るの見かけることがあるが
座ってもらえないときも結構あるそうで。

遠慮して座ったもらえなかったり、
「次の駅で降りますから」と断られたり
また、足腰が弱ってくると、一度座ると立ち上がるのが大変なので
座りたくないという方もいるそうです。

しかし、席を譲ろうとした若者は座ってもらえないと、
ばつが悪く、また座るのも・・と、そのまま立ち続けたりということも。

ところが、
長老が席を譲る場合は、ほぼ確実に座ってもらえるそうです。

その秘密とは?
長老が座席に座っていて、座ってもらいたいようなお年寄りがいたら、
その人が近づいてきたときに、長老は
何か用事でもあるかのように、席を立っていくのです。
すると、そのお年寄りにすると、目の前の席が空いたので、じゃあ座ろうかと。

周りの人も誰も席に譲ったことに気付かず、長老だけがそのことを知っているわけです。

ここで大切なのは、座ってもらえたという「いい結果」だけが重要で、
「私が」いいことをした、というのを周りに知ってもらう必要はないということです。

私達が善い事をしましょうと勧められると、「私が」いいことをしよう、としてしまうので
場合によっては、これだけしたのに感謝されない、とか、誰も気付いてくれない、とか
小さな苛立ちや怒りが生まれ、
行動は良かったのに心には悪い結果という矛盾に陥ってしまいます。

そうならないためには、長老のように「私」を消さなくてはなりません。
「私」が薄くなれば、徐々に「智慧」も現われてきます。


心理学者で文化庁長官まで務めた故河合隼雄さんが、以前著作のなかで述べていたのが

カウンセラーとしたクライエント(患者)の問題を解決するときに
まずは、ただクライエントの話を聴くことだそうです。

河合さんはクライエントが話すのを「ああ、そう」「はあ、なるほど」とただひたすら聴いていき、
時間が来たら、また次回にとして、その次も「ああ、そう」「ああ、そう」と聴いていく。

すると、人は自分が語ることによって、段々と頭が整理されてきて、問題の所在もはっきりしていき
クライエントによっては、ただ話を聞いてもらって語り続けているうちに、直っていくこともあるそうです。

でも、クライエントにすると
「たしかに先生にお会いして直ったんだけど、
 ただ先生は話を聴いてくださっただけで
 どうも先生に直してもらった気がしないんですが・・」

そこで、河合さんが述べていたのが
「それでいいんです。人は自分で直っていくんです
 私達カウンセラーは、そのお手伝いをするだけなんです。
 カウンセラーによっては、あのクライエントは私が直した、という人もいますが、
 カウンセラーはそこで手柄を取っちゃいけないんです」

「私」があると、手柄を取りたくなるんですね。

上手なクリーニング屋さんのように、仕事の痕跡も残らないのが、いい仕事です。
いい結果のためにも、「私」というシミひとつ付けないように心がけていきたいですね。


「 蒙昧(もうまい)にして無知なる者が
 沈黙しても牟尼(むに=聖者)とはならず
 はかりのように最上を取り 
 行うならば賢者なり 」


  『ダンマパダ268偈』

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ハラジュンリョウ

Author:ハラジュンリョウ
大分市明西寺住職。
1972年生まれ。
武蔵野美術大学彫刻学科卒業。

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