Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「賢者の買い物」~長老のお金の使い方

野菜売りの少年少女
India , 1999

テーラワーダ仏教(上座仏教)のアルボムッレ・スマナサーラ長老
毎秋、拙寺主催の講演会のために来県していただいています。
講演会が終わり、長老の予定に余裕がある時は、観光にお連れすることもあります。

以前ある観光地に立ち寄ったときのこと、

土産物屋が軒を連ねる通りを散策していたら

手作りの石鹸を売っている店の主人が、長老を目にし、日本語が通じると分かるや
長老の手をとり、その手に石鹸を塗りこめ、どれほどこの石鹸が素晴らしいか滔々と述べ始めたので、
私は正直「まいったな」と思っていたら
長老はにこやかに「それでは一ついただきましょう」とあっさり買われました。

私が驚いたのは
長老は別に、その石鹸が欲しいのではなく、かと言って、買いたくないのに押し売りされたのでもなく
その店の主人と遭遇し、やりとりを楽しみ
(別に要らないんだけど)たまたま財布にお金があったので、
それを使って石鹸と交換したという感じだったのです。

言葉を使って会話するように、
お金を使って買い物というコミュニケーションをすると言ったらよいでしょうか。
お金が欲しいとか、お金が勿体ないとか欲の感覚は全くなく
ただの道具としてお金を使う人に初めて出会ったのです。

まるでままごとの様なお金の使い方。


同じ様なお金の使い方を過去に一度テレビで観たことがあります。
アメリカのティーンエイジャーが日本に旅行に来て
「千円で何を買うか」という取材のなかで

ある女の子がアメリカのキャラクターグッズをかかげて
「これアメリカだったら$1なのに、日本だと¥1000もするのよ!信じられない!」
と言って、買っていた。

あえて10倍もの値段で買う実験的な使い方に、お金をただ道具として使う感覚を見ました。


おそらく長老にとっては、サンダルや眼鏡や箸とお金は同列なんだろうと思います。
道具だから必要なときに使う。必要が無ければ要らない。


出家者というのは、必要なものが最小限なので、お金の必要も少ないですが
長老にはそれ以上に「お金なんてどうでもよい」という感じを受けます。

百冊以上の著作の印税を一切受け取らなかったり、
指導にたずさわっている日本テーラワーダ仏教協会から長老への給料を出そうとしたら
「長老に凄く叱られました」とか聞いたりするとその感を強くします。


私が初めて長老から冥想の指導を受けたときに、指導通りに行わない他の受講者に
「言う通りにやりなさい。別に私はお金をもらってるわけじゃないんだから」と一喝したのを聞き、

「確かに、長老はお金のためにやっているわけでないし、
 皆に冥想の仕方を教えたところで長老自身が得するわけでないし、
 物分りの悪い私達に教えても徒労感の方が多いだけだろうしな」
 と妙に納得しました。


本物の師たるものは(与えるばかりで)割に合わない、でもあえてするという慈善事業みたいなもので
慈悲行とは、つまりそういうことなのでしょう。

長老が
「私でさえサンダルを履いているのに、ブッダは裸足で生涯すごした」
とおっしゃるのを聞くと、
私達と比較対象の方向が違うことに身が引き締まる思いがします。

私達も比べるべきは、
欲を増やして成功した人間ではなく、
欲を減らすことに成功した方でなければ。


「すべてについて善人は捨て
 欲望のために善人は語らず
 楽に触れても苦に触れても
 賢者は変化を示すことなし」

 ダンマパダ83偈

『ダンマパダ』全詩解説―仏祖に学ぶひとすじの道『ダンマパダ』全詩解説―仏祖に学ぶひとすじの道
(2009/12)
片山 一良

商品詳細を見る



生きとし生けるものが幸せでありますように
このブログを読んでくれたあなたが幸せでありますように
関連記事
スポンサーサイト

Appendix

プロフィール

ハラジュンリョウ

Author:ハラジュンリョウ
大分市明西寺住職。
1972年生まれ。
武蔵野美術大学彫刻学科卒業。

当ブログの更新情報は
Twitterで送信しています。
アカウント「明西寺」
↓リンクは下方に

コメント欄を設けていませんので
メッセージ、お問合せ等はメールへ
junryo.h@gmail.com

※記事の内容に間違い等あった場合は
 コッソリ教えてください。

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。