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寓話の効用『ル・アーブルの靴磨き』

ル・アーブルの靴磨き

久しぶりに時間が空いたので、家人に告げず
ひとりでふらりと映画を観に行きました。
『ル・アーブルの靴磨き』『アーティスト』二本立て続けに観て、
映写室から出たら
亀の井別荘の中谷健太郎さんにばったり。

この中谷さん湯布院の名旅館のオーナーにして
元東宝の助監督をしていた方で、”映画館の無い町の映画祭”として有名な
「湯布院映画祭」を立ち上げた根っからの映画人です。

中谷さんと『ル・アーブルの靴磨き』についてやりとりすると、
「寓話のよう」「おとぎ話みたい」ということで一致しました。
色々な映画評でもそのような意見が大半のようです。

あらすじは、
北フランスの港町ル・アーブルで靴磨きをして暮らしている主人公が
アフリカからの不法移民の少年に出会い、仲間や友人と協力して、
少年を母のいるロンドンへ送り届けようと奮闘する物語で、
それと同時進行で主人公の最愛の妻が病に冒されていくエピソードが絡んでいきます。


ストーリはこれ以上ないくらい単純で、結末以外は特に意外性もなく進んでいきます。
ストーリーは単純でハッピーエンドでめでたし、めでたし。
なのに、何だか違和感が残る


その違和感は、カウリスマキ映画ならではの独特の演技。


登場人物はみな言葉少なで、体もあまり動かさない。
行動を起こすにしても、誰も急がない、慌てない。


コンテナを警察が開け、不法移民達が白日のもとにさらされても
移民達は誰もたじろがず、ただ立ち尽くしているのみ。
次のシーンで少年が一人、長老に促され逃げていくときも
緊迫感があるわけでもなく、ただ駆け出し、それを撃とうとする警察官を
刑事が制するのも全てゆっくりしていて、
演技にリアルさを求めていないのがよく分かります。


極端に言えば、「何の変哲もないストーリーに自然でない演技」
これは、カウリスマキの映画に共通した特徴だと思います。

ハリウッドの娯楽大作だと、観客を飽きさせることのないよう
視覚・聴覚に刺激を浴びせ続け、こちらに考える暇を与えません。

カウリスマキの映画ではストーリーも演技もゆっくり進み、
観客は映画と対話するように内省的になっていく。

観終わっても、何だか消化不良の違和感が残るので
その未消化感を解消するため反芻せざるを得ません。

上映中だけ観客の感覚を支配して、あとに何も残らない映画と違い
観終わったあとの人生の時間を侵食する映画といえるでしょう。
 


履き古されて、くたびれた靴のような人々の前に
不法移民の少年という闖入者が現れ、
皆が自分の持っているものを分け与えていく。

それぞれが自分のできること、与えられることを
現金、野菜、食品、部屋、汗、歌、
最後には刑事が自分の権限までも

植民地は全てを奪われてきた。資源だけでなく何もかも
少年がフランス語がペラペラなのは、与えられたのではなく
母語を奪われてきた証左。

奪われ続けてきた存在の、未来だけは奪わないように
持たざるもの達が分け与えていく姿に

「人生そう捨てたもんじゃないよ」とみるか
「現実は、そんなに甘くないよ」とみるか。


色々な受け取り方があるでしょうし、

「監督はそんなこと意図していないでしょう」
とか言われても、私は全然気にもしないのです。

話者が意図した以上のことを
聞き手が勝手に受け取ってしまうことこそ
まさに寓話の効用ですから。


生きとし生けるものが幸せでありますように
このブログを読んでくれたあなたが幸せでありますように
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プロフィール

ハラジュンリョウ

Author:ハラジュンリョウ
大分市明西寺住職。
1972年生まれ。
武蔵野美術大学彫刻学科卒業。

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