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心にこころ許すな?ブッダが尼僧に直接語ったことば

ブッダガヤ女性仏教徒
India , 2005

釈尊の多くのすぐれたお弟子のなかでも、特に高い境涯を得た
男性の出家者は長老、女性は長老尼と呼ばれて尊敬をうけました。

ブッダの直弟子や同時代の比丘とされている聖者達の
多くのガーター(偈・教えの詩)は、はじめ口伝えに、そして後世、文字で残されました。

長老たちの偈を集めたものを『テーラガーター』(長老偈)
長老尼たちの偈をあつめたものを『テーリー・ガーター』(長老尼偈)といいます。

今回は『テーリー・ガーター』の中からひとつご紹介します

以下は『「テーリー・ガーター」に聴くブッダのことば』(江原通子訳)よりの引用です。

「子も財も捨て グッターよ
 至高を目指す出家者は
 よく目的を修習し
 心に支配 なされそ」

 『テーリー・ガーター』163偈

六方礼経』という南方の仏教徒なら誰でも知っている古いお経があります。
これは、釈尊当時国勢をのばしつつあったマガダの都、王舎城で、毎朝きまって六方を拝んでいた
シンガーラという若者のために、本当に清らかな六方礼拝の仕方を説かれたもので、
釈尊は本題に入る前、まず日常生活のありようを細々と注意しておられます。

例えば「励み」と「怠け」について、

「怠け者」は、
「寒すぎる」と言って、仕事をしない。
「暑すぎる」と言って、仕事をしない。
「朝早すぎる」と言って、仕事をしない。
「夜おそすぎる」と言って、仕事をしない。
「お腹がすいた」と言って、仕事をしない。
「満腹だ」と言って、仕事をしない。
 と。

これを自分にあてはめて見ますと、本当に人の心の中というものは
「よい事をしよう」「しっかり励もう」等という善心は誰の胸の中にもありますけれど、

一方では、それを押しのけて「いや」とか「でも、しかし」とか
否定して逃げたい心も必ずあって、
それが上になり、下になり、心同士がもみ合って、
大ていは「怠け」の方が勝つことが多いのですが、

でも、時にはその同じ心が「怠け」に勝って
「励み」の人となることもあるのが普通の人間です。

私達は、心といえば、西洋の人達が描いてみせる
ハート形のひとかたまりで現せるように思いがちですが、
実は少しよく気をつけて自分の心を観察してみると、
それはファイバー光線のように多岐多様で、尽十方に向かって走っており、
常にもつれ合い、からみ合い、善と悪と、無記の様相を無限に展開しながら
流れつづけて行くものだということがわかります。


ひと口に
「仏教とは何ですか」
 と聞かれたら、
「自分の心の流れを、出来るだけ清く育てていこうとする教えです」
 と答えることも出来るかもしれません。

その心の清らかさも、こわさも、とことん知りつくした釈尊は
「心に支配されてはならない」
 といつも温情あふれるきびしさで、忠告をくり返されたのでした。


グッターは、ガンジス北岸で、南のマガダに対峙するコーサラの都
舎衛城に住む、バラモン人の娘でした。

インド社会で最高の階級に生まれ、恵まれた環境にあったのでしょう。
比丘尼第一号として出家した、釈尊育ての母君マハー・パジャーパティー・ゴータミー
手引きで出家したといわれます。

「テーリー・ガーター」の偈の数の、二倍半もある「テーラ・ガーター」でも、
釈尊が直接その人の名で呼びかけられた偈を、私は知りませんし、
ダンマパダ」でも人名の出るのは唯一回。

ですから幼稚な私など、釈尊が一度その名を口にされたらしい「ダナパーラカ」という
一頭の象にさえ羨望を禁じ得ない程ですのに、女性の修行者のためには、
それぞれの人の名で呼びかけた教えの詩を、すでに幾編もご紹介しました。

その中で釈尊は、優しい心づかいと共に、滅法きびしい教えを手渡しておられます。
長らく女性の出家舎を拒まれつづけた釈尊でしたが、一たんこれをうけいれたあとは、
比丘尼の保護と育成のため、さまざまに心をくだかれたことがよくわかります。


最後に申し添えれば、私はこのグッターの偈の邦訳を
なされそ」という言葉で結びました。
若い世代の方々は、或いは馴染みうすく感じられたかも知れませんが、
これは皆さまよくご存知の、東北地方の入り口、奥羽三関の一つの
勿来(なこそ)の関」を思い浮かべていただければよくわかります。

かつてそこは「夷人(えみし)よ来るな【な来そ】」
夷人の側からすれば「大和人よ来るな【な来そ】」という境界線であったわけで
今でも常磐線で三陸海岸を北上すれば、平(たいら)の手前に「勿来」の駅があり
いわき市に属します。

かつてここを通る時

 吹く風をなこその関と思へども 道もせに散る山桜かな

と詠んだのは、風流公子、源義家でした。

せっかくの花が散るから、風よ吹いてくるな(なこそ)という優しい心も名をも残したわけです。

「な」とかけて「そ」と結ぶのは、よく使われる強い願望を伴った禁止の表明ですから
「心に支配 なされそ」は、
「心に支配されるでないぞ」という意味になります。

 心こそ こころ惑わす 心なれ 心にこころ こころ許すな

という歌の作者名は、いろいろあげられますが、もとをただせば、
この釈尊の教えを、昔の誰かが歌にのこしてくれたのでしょう。

(さて、最後に、七五調の結びが四文字でおわっているこの訳偈を
 読者はどのような階調でくちずさるでしょうか、詩に親しむのは、
 階調を体でうけとめることですから・・・その息遣いを―――。)

『テーリー・ガーター』小

『「テーリー・ガーター」に聴くブッダのことば』江原通子(日本テーラワーダ仏教教会刊)
 施本につき非売品

江原 通子(えはら ゆきこ)
1920年東京に生まれる
東京府立第一高等女学校卒業
東洋大学文学修士課程修了(インド哲学専攻)

文藝春秋社の女性編集者として長く活躍
大日本茶道学会教授
著書に『私の法句経』『心流抄』『瓔珞をはずすとき』他





私たちは、かなり厄介なものを抱えているようです。
と、語るのもこの心です。いやはや。


『テーラ・ガーター』と『テーリー・ガーター』は
それぞれ岩波文庫で中村元博士が訳したものを読むことができます。
仏弟子の告白―テーラガーター (岩波文庫 青 327-1)仏弟子の告白―テーラガーター (岩波文庫 青 327-1)
(1982/03/16)
中村 元

商品詳細を見る

尼僧の告白―テーリーガーター (岩波文庫 青 327-2)尼僧の告白―テーリーガーター (岩波文庫 青 327-2)
(1982/04/16)
中村 元

商品詳細を見る

文中にある『六方礼経』のアルボムッレ・スマナサーラ長老による解説書もあります。
ブッダの青年への教え―生命のネットワーク『シガーラ教誡経』ブッダの青年への教え―生命のネットワーク『シガーラ教誡経』
(2008/01)
アルボムッレ スマナサーラ

商品詳細を見る


写真は、ブッダガヤを訪れた仏教徒の女性達

生きとし生けるものが幸せでありますように
このブログを読んでくれたあなたが幸せでありますように
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プロフィール

ハラジュンリョウ

Author:ハラジュンリョウ
大分市明西寺住職。
1972年生まれ。
武蔵野美術大学彫刻学科卒業。

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