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ブッダのことば「自己を責めるがよい 自己を省みるがよい」

ボダナート目玉寺院
Nepal , 2000

「自ら自己を責めるがよい 自ら自己を省みるがよい
 自ら守護し、念を保てば 比丘よ、お前は楽に住む」

  『ダンマパダ』379偈

今朝の朝刊は、大飯原発の再稼動の記事が一面でした。
拙寺では二紙購読していますが

地方紙の大分合同新聞は、「原発ゼロ」終了と書き
日本経済新聞は、「原発ゼロ」解消と表していました。

手元にある新明解国語辞典で「解消」を引くと
「今まで続いて来た望ましくない関係や状態を、無くす(結果になる)こと。」
と、あります。

日経新聞にすると、原発が稼動していない状態は好ましくなかったということが分かります。

さすが福島第一原発事故後の東京電力の記者会見で、東電の勝俣恒久会長を
勝俣会長様」と日経記者が呼んだだけのことはあります。

報道災害【原発編】事実を伝えないメディアの大罪 (幻冬舎新書)報道災害【原発編】事実を伝えないメディアの大罪 (幻冬舎新書)
(2011/07/28)
上杉 隆、烏賀陽弘道 他

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言葉の表現ひとつとってみても、色々な感情が含まれていることが分かります
公害訴訟や死刑囚の裁判のやり直しを求める再審請求の判決直後に
(原告が敗訴した場合)原告の関係者が「不当判決」と書かれた垂れ幕を高く掲げて
法廷から飛び出してくるのを見かけることがあります。

その「不当判決」の文字はどうみても前もって書かれたものに違いありません。
おそらく別に「勝訴」や「再審開始決定」なども用意されていたのでしょう。

原告側にすると、こちら側の無実や勝訴を信じているから、
「不当判決」と表明したい気持ちは理解できます。
が、裁判開始前から、勝訴できなければ裁判官が不当な判決をした結果であると
はなから受け入れる気がないならば、それこそ客観的な判断のない不当な態度だと思います。

実際の判決を聞いて不当だと感じたならば「不当判決」としても構わないと思います。

しかし、敗訴の原因が、裁判所の不当な判断の場合もあれば
もしかしたら、原告側弁護団の力が足りなかった可能性だってあるかもしれません。

しかし、不当と断言してしまえば、100%相手が悪いと言っているわけですから、
自己の過ちがあったとしても、自己を振り返る視点を失います。



以前読んだ本のなかで、うろ覚えですが、1960年代の安保闘争の内実を表した言葉があります。

「学生運動 バリケードの中では 天皇制」

平等を指向し、天皇制打破を訴える左派学生たちも、内部では女子学生が炊き出しに従事したりと
旧来の男尊女卑的な役割分担をさせることに対しては疑問を持たなかったと。

わずかでも疑問でも感じれば、改まるかもしれません。
しかし、自分が100%正しいと思う人は疑問を持ちません

自分の正しさばかり主張し、考えの異なる人間を糾弾する人とは友達になれません。
比喩ではなく、コミュニケーションが成立しないので、友達になれないのです。


自己を見る目がない人の「正しさ」は厄介です。
精神分析学者の岸田秀は、
人間は正義の名のもとに最も残虐なことをする、と喝破しましたが、

確かに罪悪感を持って悪いことをする人間よりも
自分が正しいと信じ込んで罪の意識が皆無の人間の方が手に負えません。

日本に原爆を落したことによって、戦争を終結させることができたので
原爆投下は有益だったと思う米国市民が大多数という記事を読んだことがありますが
さもありなんという気がします。

そう考えると、原発再稼動のデモで、デモ隊と対峙する機動隊員のなかに
涙をこぼしていた人もあったと聞くと、立場は違えど友達になれそう気がします。


「正しい」人は厄介ですが、他人を変えることは至難の業、
というよりも、ほぼ無理ですので、

できることと言えば自分も同じ穴のムジナにならないように
常に自己点検し続けるしかないような気がします。



寺に戻ってきて間もない頃、お盆のお参りの連絡で、
あるお宅に「多分断られるだろうな」と思いながら電話をかけました。

前回のお参りのときに、あまり気乗りしない感じだったのでそう思ったのですが、
断られるにしろ一応連絡しておかなければと考えたわけです。

奥さんが電話に出て
「おじいちゃんが体調崩して入院していますので・・・」と言われたので、

渡りに船とばかりに、つい

「それは丁度良かったです!」
と言ってしまい

「え!???」となって
「ああ、いえいえ・・」と、しどろもどろにごまかしたんですが。
失礼な話です。

やはり思っていることは、つい出ちゃうので
メッキじゃなくて地金を変えないとダメですね。


「自己こそ自己の寄る辺なり 自己こそ自己の拠り所なり
 それゆえ自己を制するがよい 商人が良馬を御するように」

  『ダンマパダ』380偈

『ダンマパダ』全詩解説―仏祖に学ぶひとすじの道『ダンマパダ』全詩解説―仏祖に学ぶひとすじの道
(2009/12)
片山 一良

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写真は、カトマンドゥ郊外のボダナートの通称・目玉寺院。
ストゥーパに描かれた目はすべてを見通す真実の目で、真実にいたるには解脱しかないと説かれる。


生きとし生けるものにさとりの光があらわれますように
このブログを読んでくれたあなたが幸せでありますように

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プロフィール

ハラジュンリョウ

Author:ハラジュンリョウ
大分市明西寺住職。
1972年生まれ。
武蔵野美術大学彫刻学科卒業。

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